Vintage Vanguard
Her Master's Voice  (Her name is Marilyn)
                   自称オーディオ博物館Audio System Museum (地図)
                ヴィンテージオーディオを集めて希望の方にお聴かせしています。
                TEL 046-822-0750かFAX 046-825-8484で予約のうえいらして下さい。
                 無料です
 『オーディオは、科学と芸術の接点である』とは故 中野英男氏(元トリオ㈱社長)の言葉です。
 音楽をナマ以上に楽しむ再生芸術があると思います。
 ソフトが一番大切と思いますが再生機器にも自分の思い入れが必要です。
 私、一アマチュアが趣味で集めた1920年代から現代までの音響再生装置でその時代に録音された
 ソフトを再生し音楽と音の感動を楽しんでいます。

ヴィンテージオーディオとは
 
ヴィンテージ・オーディオという言葉がよく使われていますが古いからヴィンテージとは思いません。
 ヴィンテージとはワインの世界で使われる言葉で、作られた時から名品たるものだけが将来ヴィンテ
 ージとなり得ますが管理保存が悪ければ駄品と成るわけです。
 古いだけではヴィンテージには成り得ません。ただ古いだけの機械はアンティーク・オーディオ、
 クラッシック・オーディオ、古典オーディオ、古代オーディオ、骨董オーディオ、中古オーディオの言葉
 が相応しいと思います。 
 ただ古いだけのオーディオの音は古さ、懐かしさを感じさせますが良い音がでるという訳ではありません。 

温新知故
 将来ヴィンテージに成るであろうという新しい製品もあります。
 新製品を頭から否定せず新しい物にも挑戦すると古いモノの良さが更に判ります。

 私の聴く音楽はジャズが主ですがクラッシック、その他の音楽でも感動が得られれば何でも聴きます。
 音源としてはオリジナルに拘りSP、LP、CDを聴いています。

異口同音
 色々なスピーカーを鳴らしていますがたぶん全部私の音がすると思います。
 初期はメーカーの音に拘っていましたが最近は『同口異音』をめざし、同じスピーカーを使っても
 よそさまでは出ない音を追求しています。

一期一会
 オーディオと音楽とそれに関わる人々との楽しい時間。
 興味のある方はどうぞお聞かせしますので、ご予約のうえいらしてください。

傍目八目
 皆さんの意見を聞いて「井の中の蛙、大海を知らず」にならないよう、広さも高さも知ろうと考えています。
 私より詳しい方は大勢います。何でも吸収したいのでいろいろご指導ください。


現在私の所で聞けるスピーカーは

★ウェスタン・エレクトリック
 “WE12Aホーン”・“WE13Aホーン”・“WE15Bホーン”・“WE24Aホーン”
 “WE555”・“WE555W”・“WE594"・“WE597”・“WE757モニター”

★ヴォイト・ドメスティツクホーン

★デッカ・デコラ

★JBL
 “ハーツフィールド”・“C-31”・“4350”・“L 300”

★RCA
 “オルソン迷路型モニター”・“RCA MI-624ホーン”

★クラングフィルム
 “オイロダイン”・“オイロッパジュニア”

★ランシング
 “シャラーホーンシステム”

★ロンドンウエスタン
 “20/80スピーカーシステム”

★アバンギャルド・アコースティック
 “トリオ+4バスホーン”
 
聴けるアンプの真空管はWE300A、WE300B、WE205D、WE212、RCA2A3、RCA50、
 クラングフィルムRE604、WE350B、クラングフィルムF2a11等です。
                                                     @

 クラングフィルム・オイロダインを聴くシステム
 アバンギャルド・トリオ+バスホーンを聴くシステム
 ウエストレックス WESTREX COMPANY LTD.・ ACOUSTILENS ・20/80を聴くシステム
 ランシング・シャラーホーンを聴くシステム
 JBL4350を聴くシステム
 JBL C31を聴くシステム
 Western Electric ウエスタン・エレクトリック WE-12A、WE-13Aを聴くシステムと

 WE25Bホーン+WE555×2+WE597+WE4181を聴くシステム
Western Electric ウェスターン・エレクトリック 

 WE15Bホーン+WE555×2+エルタス4181×2+WE31A ホーン+WE594
を聴くシステム

 とWE24Aホーン+WE594+ELTAS 4181×2を聴くシステム
 JBL C30 ハーツフィールドを聴くシステムと

 ヴォイト ドメスティックホーンを聴くシステムとデッカ・デコラ
 RCA オルソン迷路型モニタースピーカーを聴くシステムと

 RCAフィールド型スピーカー
を聴くシステム
 
写真家山本博通さん撮影
歴代音響機器館
①HMV203 蓄音機 {1926年}

②EMG・MkⅦ {1945年頃}
③DECCA DECOLA {1950年} OsramPX25pp、Goodmans 3スピーカー(2種)使用
④VOIGT DOMESTIC HORN {1934年}←Quad22+Ⅱ(KT66pp)←Garrard Model 301
 ←Ortofon RA212 ←EMT OFD25 ⇔Cambridge Audio Dacmagic D/A Converter
 ←Krell MD-2 CD Turntable

⑤James B.Lansing・C30 HARTSFIELD {1953}←McIntosh MC-30(6L6GCpp) 
 ←McIntosh C-8 ←テクニクスSP10MkⅡ←GRAY Model PK-170:Viscous damped 16"
 ←Pickering モノカート、=Fairchild Model 281A 16":Transcription Arms
 ←Faircild Model 215A Cartridge、=Neuman DZT専用アーム ←Neuman DZT
 ⇔ Marantz CD63  

⑥RCA オルソン迷路型モニタースピーカー{1944}←RCA・劇場用アンプ(RCA6L6)
 ←SONY Discman

⑦RCAフィールド型スピーカー←PHILIPS 船舶映画館用アンプ←SONY Discman
⑧RCA電蓄
⑨Western Electric WE 12-A ホーン{1927}+WE 13-A ホーン{1927}+WE 555-W  
 ←Jewll Sound Laboratories映画館用アンプ(2A3pp+フェランティー入力トランス)又は
 Western Electric WE 41電圧増幅アンプ+WE 42パワー・アンプ+WE 43ブースター・アンプ
 ←Western Electric WE 49プリ・アンプ ←RCA Type 70-D Transcription Turntable
 ←FM Acousyics FM 122 Phono Linearizer/preamplifier⇔KS-13386イコライザー
 +171-Aリピーティング・コイル ←WE5-Aアーム ←WE 9-Aリプロデューサー
 =Western Electric 109 Type Reproducer Group ⇔Gray MONOアーム 
 ←GEバリレラ(SP用)

 又はWestern Electric 203-A Reprducer Set プレーヤー(D-89345ポテンション・メーター
 ←WE 2-Aアーム←WE 4-Aリプロデューサー ←鉄針)

⑩Western Electric WE 15-Bホーン{1928}+WE 555×2+エルタス4181×2+
 WE 31-A ホーン+WE 594-A ←WE 86-Cアンプ(300App)
 ←FM ACOUSTIC 122
←Rylec検聴用プレーヤー←EMT RF-297 ←Ortofon TypeA,B,Cカート(振動系の違いです)
 ⇔Meridian 208 CDプレーヤー

⑪Western Electric WE 25-Bホーン{1938}+WE 555×2+WE 597-A + TA-4181-A×2
←WE 41、WE 42、WE 43←WE 49 又はWE 86-Cアンプ ←FMアコースティック155
 ←Rylec (Ortofon社と共同開発)検聴用プレーヤー{1950}
 (Neuman・Cuttingmachin用モーター使用)←Ortofon RK-309アーム
 ←Ortofon Fonofilm TypeA,B,C・モノカートリッジ

⑫Western Electric WE 24-Aホーン{1938}+WE 594-A + ELTAS 4181×2
 ←WE 86-Cアンプ

⑬Lancing Cellular Horn System {1934}←Marantz 8B
 ←Marantz 7C←Marantz 10B ⇔MERIDIAN 506 CDP

⑭RCA・Directional Soud Projectr MI-1624/1425A {1929}
 ←宮崎良三朗氏作OTLアンプ(6C33)

⑮Klangfilm Eurodyn KL-l430, KL-l431{1935}←Klangfilm Europa Junior用アンプKL-32609
 ←Nueman WV 2←Neuman カッターレース←Neuman アーム 
 ←Neuman DST⇔EMT 981 CDプレーヤー

⑯Westrex Company LTD.・ Acousticlens 20/80 {1950}←Klangfilm V 403a
 ←Klangfilm V 055g←Neuman Cuttingmachine←Studer A730

⑰JBL 4350{1974} JBL 1500ALウーファー×2、JBL 537-500ホーンに変更) 
 ←Goldmund Mimesis 8.5(ウーファー用)+Goldmund Mimesis 28(ミッドロー用)
 +FM Acoustic FM 611X(ミッドハイ用)+Krell KSA 100(トゥイーター用)
 )←SONY TA-D88チャンネルデバイダー ←BRUMESTER 808MkⅡプリアンプ
 ←Birdland Audio Odeon-Lite D/Aコンバーター ←Barclay Digital F1CDトランスポート
 ⇔38Kg 自作砲金糸廻しプレーヤー ←SMEアーム プロトタイプ
 ←ORTOFON SPU-Gアニバーサリー

⑱James B. Lansing Sound,Inc.
  JBL C-31 Front-Loaded Corner Horn {1953}←Altec 1570Bメイン
  ←Altec 1567Aプリ ←EMT930⇔ミュージックバード放送

⑲Lowther TP-1(PM-3)←LS3/1A用アンプ←Scott 121-Cプリアンプ←Thorens TD 135
⑳Tannoy Dual Concentric Minitor Black 12"{1953}+New 12"Lancasterエンクロジャー
  ←石井義治氏作RCA50 ロフチンホワイト メイン 

21、Klangfilm Europa Junior ←Acoustocal Quad ⅡAmplifier←Quad ⅡControl Unit
   ←Garrard Model 401←Deccaアーム←Deccaカート

22、Western Electric 757-A Monitor System←伊藤喜多男氏作 300B シングルアンプ
  ←伊藤喜多男氏作 Crescent RA 1501-5 Preamplifier Equalizer-Powered
  ←Kensonic Accuphase T-100=Phillips LHH200R=CS-PCM-Tuner MDR-1000

23、Avantgarde Acoustic TRIO/Bass Horn←Gouldmund Minesis 9.2 ×2 ⇔
 WE212-D Sing.le Power Amplifier by EIFL (WE212D←WE205D 
 ←WE417A←STC5R4GY×4 ←WE274B←412A)←Dynaudio Arbiter Pre Amplifier
 ←Philips LHH-2000 ⇔Mark Levinson No.30L + No.31.5L
 ⇔Neuman Cuttingmachin←Thorens TP997 Prot. ←EMT TSD-15(丸窓)
 ⇔Ortofon MC Windfeld
私のオーディオ人生を導いてくれた雑誌です。これだけの内容が埋もれて消えてしまうのが残念で
あえてコピーを載せます。昭和47年8月発売 
ラジオ技術社 「ステレオ芸術」1972年8月号
私の一番古い写真です。
@
私のオーディオの師 伊藤喜多男先生(1912~1992)に頂いた手紙です。
伊藤喜多男さんの思い出
★喜多男さんとは昭和49年にシーメンス・オイロダインの試聴に日暮里のマンションの一室の『関本』
 に伺って、「三上さん、オイロダインの前で赤ちゃんのおしめを変えたのは貴方達が初めてだよ」と言
 われて以来のお付き合いでした。
 まだ開業したてでエンクロジャーを買うお金もなく、相談すると気前良く試聴用に使っていた箱をただ
 で譲ってくれました。この箱はオーディオ雑誌に良く出ていたもので、現在でも友人宅で活躍しています。

 オイロダインの音が落ち着いた頃「ウエスターンとは如何なものでしょう」と質問しますと「三上さん、
 ウエスタンはやめときなさい」と言われました。たぶん私の性格を看破して人生崩壊、家族離散を心
 配してのことだと思います。
 以後1992年に喜多男さんがお亡くなりになるまでウエスタンには手を出しませんでした。

 ウエスタンに手を染めてからヴィンテージ・オーディオに狂い、大変でした。
 「先生、球はなんでもいいですからメインアンプをもう一台作ってください」
 「体調が悪いので時間がかかるよ」「何時までも待っていますのでお願いします」
 喜多男さんが亡くなる半年前の最後の会話です。

★私の大好きだった故伊藤喜多男さんのオーディオ随想が出てきましたので抜粋転記します。

 
『獄道物語』より

 「獄道と開眼」 関西でよくごくどうという詞(ことば)をつかう。古語辞典には「獄道・極道」 
 ①悪事をする者、遊楽に耽る者をののしる語、
 ②人をののしる語、と説明してあるが道楽という詞より私はどぎつくて好きである。

 現代は趣味だの、ホビーだのと、いやに取りつくろった自分を高尚な形にみせかけているが、如何に
 も理知が邪魔をして、属懇楽しめないという風な態度がみえて気にくわない。「幇間(たいこもち)揚
 げての上の幇間」という川柳がある。道楽の極をつくして遊んだからこそ、客の喜びようを知り、快く
 遊ばせる術(すべ)を心得た上の、それを生業(なりわい)としている末路のことである。幇間に取囲
 まれた経験からそうした雰囲気を作ることに妙を得たのである。理性でも利欲でもない。
 二次的な利欲の存在は許されるが、道楽である以上「趣味と実益」などという愚劣な語で表現される
 ような態は末路としては納得出来るが、その時点では意識していない、しかし「芸が身を助けるほど
 不幸」と嘆息したり、ふて腐ったりの開き直りは末路の啖呵としては納得できる。幇間になることを目
 標として遊蕩に耽るということはあり得ないし、その時点で自分の末路を予測するほど人間は賢くな
 い筈だし、もし賢かったら、そんな遊びはしないだろう。
 (続音響道中膝栗毛より) 


 
『ABALAQUA BESSON(あばらかべっそん)』より
●「遠吠え」という詞(ことば)を御存知ですか。これは犬や猫に限ることと思っていたら、人間にも多い
 行動なのです。物の価値を批評するのは結構なことで、その人に能力があればこそ行えるのですが、
 さてその本人が批判に明け暮れて、唯々諾々(どんなもんだいととくいげに)としているならば甚だ不
 愉快極まる輩です。そんな奴は決して一つのことに惚れ込んだり、苦しんだりは致しません。もしそん
 な情熱を持ち合わせていたら、批判などする暇を持てる筈もなく、行動に移して他人の批判を甘んじ
 て受ける、つまり加害者から被害者になることを肯(がえ)ん得ないと思います。他人の批判は大い
 にするが自己批判はまるっきりしない。ひとのことは解るが自分のことは解らないのが人の常(あた
 りまえ)。他(じぶんいがい)を貶(けな)すことに喜びを感ずるのは誰しものこと、しかし第三者にこれ
 を吹聴すれば、次は俺の番とばかり嫌悪(つまはじき)されること請合い。(中略)

 遠吠えするのは極度の恐怖観念(ノイローゼ)から生ずる行動です。そいつは気が小さいから他人
 (ひとさま)の批判に明け暮れるのです。自分で行動する意欲皆無(ゼロ)の野郎(こしぬけ)です。
 自分が行動すれば他人から批判されることをなま狡く承知(さっち)しているという、手のつけられな
 い奴(くそったれ)です。「柄のない肥柄杓」「ブリキの断ち屑」とは、そんな奴のためにある形容(い
 いまわし)です。但し、貶された当人が笑えるくらいに洗練された語彙(ボキャブラリー)を心得て(じ
 ぶんのものにして)いる人ならば、全く話は別ですが。

                                 
(81年サウンドボーイ10月号より)

●一つのものを選んで何時迄経っても飽きない、という人がいたら大嘘。飽きるのは当然ですが、取
 り替えた処で大した違いがあるものでなし、という諦めが自ずと沸いて来るのが男女関係(おとこと
 おんなのつきあい)の常(さだめ)。世の中にはもっとよい女性(ひと)がいて自分と暮らしてくれるだ
 ろう、なんて自分(てめえ)の至らなさを棚に上げてほざいている処に、貴君(おまえ)の間抜けさが 
 あるのです。
 アンプは飽きても放って置けばよいのですが、女性(おんな)と別れるのには大層(たいへん)な手間
 (じかん)と金(てぎれきん)がかかります。 貴君(あんた)には選ぶ権利はあっても資格はまるでな
 いという矛盾があります。自分を磨き上げないで、相手にだけ難癖をつけて、自己過信と自信を履き
 違えている輩(やから)が沢山(うようよ)います。
 「俺はどんなものだって満足できないほど贅沢なんだ」と大通をふり廻す族(おおみえをきっていきが
 るやろう)、それが貴君(てめえ)だということをよく認識して下さい。 尤も今更言って直るくらいなら、
 疾(と)うに直っている筈です。おそらく不治の病(ばかはしななきゃなおらない)という処でしょう。 
 御同情申し上げます。貴君(あんた)にではなく、御親族一同様にです。
 どのような一流品でも飽きてしまうということでしたが、一流品とは貴君(おまえ)が評価することなの
 に拘わらず貴君(おまえ)には一流品の標準(きじゅん)が皆無(まるでなし)ですから、話になりません。
 つまり、一流品(どんなもの)を見ても二流、三流と蔑むことが美徳と心得(はきちがえ)る人(ひとでな
 し)になってしまった、手のつけられない貴君(てめえ)こそ自称一流品で、実は世間から見れば極め
 て劣悪な人種(すくいようのないどあほう)だということになっているわけです。
 しかし、落語の「酢豆腐」に出てくる若旦那(ばかだんな)的存在価値だけは認めます。
                                      (81年サウンドボーイ9月号より)


 『きたおのたわごと』より 
●私は既製品以外はなるべく使用しないことにして、それに対応した回路と球を選ぶことにしている。
 技術的でなく企業として、メーカーでは不可能なアンプを作るのが、プロではない読者の楽しみであ
 り苦しみであるが、凝り過ぎると被害者が蔓延する畏れがある。他人(ひと)に迷惑をかけずに生き
 ていられる人は、絶対に存在しないが、それにしてもである。
                                        (86年MJ誌2月号より)

●新しいものが目まぐるしく出廻って応接に遑(ひま)がなくなってきたのか、古いものを漁る人が増え
 てきた。 
 既に市場に出切ってしまったものだから、もっと良いものが出るという期待も不安も伴わず、「よくい
 ままで達者でいたな」という憐愍の情と、若い頃の記憶を甦らせる絆として座右に置きたくなるらしい。
 (中略)

 骨董趣味だけで手に入れたところでオリジナルを知らないからノブが異なっていようが、新しいスピー
 カーと変えてあろうが解る筈がない。
 長期間にわたって働いたものだから無故障でいるわけがないから、当然幾度か修理bされている。
 取り敢えず音が出ればという形で直され原形は逸うに失って見るも無惨なものの方が多い。
                                       (86年MJ誌5月号より)

●何とかして音を出してやるのがアンプへの愛情であるし当然あるべき形であれば、音が出ないまま
 埃だらけのアンプを商品として取り扱う愚かを敢えてするものはない。
 応急手当でも手抜き仕事も止むに止まれぬことである。
 完全に修復した処で納得する人、つまり原形を見たことがない人には、それこそ豚に真珠の諺通り
 無駄なことだが、それにしても応急手当を施された銘器ほど惨めなものはない。
 今後再び世に出ない逸品の骨董的価値を傷つける無謀は赦せるものではない。
                                       (86年MJ誌6月号より)

●オイロダイン(西独)だのWE(米)の35や40型のようなスピーカー(製造中止だから宣伝にならな
 い)を使っている人の内、何人が本当に鳴らしていることだろう。「何だってこんな音源を叩き込むん
 だ」と髀肉の嘆きを洩らしているのはスピーカー、「如何にしたら良い音が出るんだ」と疑心暗鬼を生
 じているのが所有者、果ては「とんでもねえものを掴んだ」と人を怨んで自分の未熟を棚に上げる始
 末、結果は「ご希望の方に高価で譲ります」の途を辿るのである。
 スピーカーが馬だったらそこでほっと胸を撫でおろすかも知れないが、馬は伯楽のような目効に邂
 逅すれば幸せを得るが馬の方から伯楽を探すわけには行くまい。人と人、人と物、物と物には生き
 物の邂逅がある。会ってよかったと思えるのはお互いの良さを摑み得る努力の結果であって、
 一方だけでは成立しはしない。
                                       (86年MJ誌9月より)

●管球アンプが未だに作られている。相当な製品もあるが、中には目を覆うほどの駄作もある。
 見るに耐えないものは聴くに堪えない以前の作品である。自作して良い音を探求するのはよいが、
 試作以前の試作で、思いつきで無闇に球を並べ、トランスを特注して結合させ“俺でなくては作れな
 い”式の特殊別誂えのアンプを作るのは結構だが、他人の目に晒すのは困る。
 御自分一人で精々楽しんで頂きたい。
 その理由の如何を問わず“お前だから作れるんだ”という顰蹙をかうのを露知らず、敬意と錯覚して
 るには老生の過去の経験でも明らかである。
 (86年MJ誌10月号より)

●管球式回路は新しい球が出現しない限り既存のものから選ぶより他はない。
 その球は既に先師により使い熟され最早弄りようのないほどに究めつくされているのに無理やり何
 とかもう一工夫とばかりマニュアルを読んで回路を選ぶならよいが、想天外な回路を思考する輩が
 増えてきた。当人が良結果を得たと納得しているのだから傍からとやかく言うことはないが・・・・・・・・
                                       (86年MJ誌11月号より)

 『戯言(たわごと)』
●「さすがに、お宅のシステムは素晴らしいですな」と、無暗に誉める人がいる。こんな人は他の家を
 訪ねても 同じことを言っているものだ。山海の珍味を出す家ほど、こういう訪問者が多い。

●4.5畳の部屋で6.5吋のスピーカーを自作の筐に入れてラーメンを啜りながらステレオを楽しんでい
 る人がいる。 バランスがとれているから、もっとよいシステムを買えとは言えない。引越をさせるに
 はシステム以上に金がかかるから。

●わたしはこういう人たちが好きだが豪華なシステムを持っている人も好きだ。
 自分がそれを買えないからきかせもらうために。ただしその音をきいている最中に金もうけの話を持
 ち出されると途端に帰りたくなる。

●カートリッジ、アンプリファイア、スピーカーを所狭しと並べて取換、引換聞かせてくれる人がいる。
 わたしにはその動作が目まぐるしくて音楽を聞く雰囲気に浸れない。

●豪華なシステムを持っている人が市販のステレオを評して「あんな音は聞けないよ」という。
 消えものということを認識していない証拠だ。

●厳しい原価計算と利潤の追求で生産されるのが商品である。
 商品価値は音の良さだけで成り立たない。
 それが証拠には、価格に比べて素晴らしくよい音の出るものが必ず売れているとは限らない。

●ステレオの機械は音を出すのが目的であるのに見せる方に努力しているものが多い。
 走るクルマと同じように。

●クルマは走行中の事故に命がかかっているが、ステレオはどうやら直接生命とは関わりがない。
 それだけに余計困る。

●いやな音を聞いて気が狂った人は少ないがよい音を求めて気が狂った人の如何に多いことか。
 もっとも当人は至極「まとも」だと思っているところに悲劇がある。
 もっとも、また良い音を聞いて「まとも」でいられるくらいなら良い音を探求する筈はない。

●測定機を並べて綿密なデーターを採ってから音を聞くのが常套である。
 このアンプはそういう特性であると心にきめて聞くのは如何であろう。わたしはいきなりその音を聞い
 てから測定して見たいと思う。
 勿論この場合ステチックの測定は別であるが。また自作では機種を知ってしまうという弊害が伴うが。

●国府津の機関区で老機関士がつくづく話してくれた。
 「当節はカマにメーターが沢山ついていて安全であるがメーター
 が狂っていることを判断できる者がいない」カンに頼らないからカンがなくなるという平凡なことだ。

●ハイウェイでガソリンがなくなってエンコしている車を見うける。
 メーターが狂っていたか、当人の頭がくるっていたかのどちらかである。

●他人の作ったものを批評するのはやさしくて愉快なことだ。
 しかし自分が作ったものを批評されるのは不愉快なものだ。
 作らなくても買ったものでさえそれを感じる。これは自分の情熱と正比例する。

●「おれが好きで買ったものだから他人に聞かせたくない」と思っても聞かせたくなるところに矛盾がある。
 やっと手に入れた異性のように。独占と虚栄の板挟み。

●批判したくないものを批評しなくてはならないのが評論家というものである。
 自分が好きなものだけ批判していられるならば、こんなよい稼業はない。

●ストレスを解消させるためと、エクサイトするためと、聞く人それぞれ目的が異なるが曲の如何に拘
 らず耽溺して聞くからには情熱があるべきだ。

 ●恋愛で自殺したひとは沢山いるが音を追及して壁にあたり自殺した人の話を聞かない。
 情熱不足も甚だしい。 アンプ作りをしている者の中に一人ぐらいあってもよいのに。
                                    *ステレオ芸術(1972年8月号)より

 『伊藤流アンプ指南、心得編』より

●板金図や回路図を標準にしても、部品の都合でこの通りいきませんから、作る方の好きなものを選
 んで下さい。 この通り作ったらこの通りできてしまうのは結構なことですが、本当は、同種のものが
 増えるのを職人は嫌がります。
 でもその職人は「できっこない」とタカをくくっているのが常、だからこうして作り方を述べられるのです。
 私の心がけだけはわかつていただければよろしいので、生きざまをお目にかけたようなもの、どうの
 こうのという批判はまっぴらご免です。
 細かいことはさておき、作りたいならばそれに専念してみることです。
 当節、部品の能書きを盛んに口にする方を見受けますが、理論と鑑識眼だけは抜群、さて腕前はと
 なると、これはまた見るも無惨、一流の部品が髀肉の嘆をもらしています。
 もっとひどくなると、組めもせず部品屋さんにいりびたり、 ゴタクを並べる趣味の人がおります。
 「良賈(りょうこ)は深く蔵して虚しきが如し」というふうに、自分の頭の中の在庫は全部見せるもので
 はありません。
 真空管式のアンプは先が見えていますし、いくら評価したところで、結局は骨董品的な存在になる日
 は近いのです。だからこそあえて贅沢に、耐用年限の長いことを目標にして作っているのです。

 一途に50年間習得してきた、苦しくて楽しかった年月をかえりみて、このへんが年貢の納めどきだと
 思っています。
 ガラスを通して見えるプレートやグリッドのたたずまい、フィラメントのほのぼのした紅の色。
 その柔らかな色彩に似ても 似つかぬエネルギー感、紅蓮(ぐれん)のほのおにまごうパワー、その
 はげしい動作も一たび静寂にかえればビードロの美しさをいやがうえにも輝かせて、手で触れれば
 傷つきそうな優雅さ、あんな力強い美しい音を送りだしてくれる力はどこに潜むのかと疑いたくなります。
 真空管はそのビードロの器の中に無限の夢をつつんで、私にこよなき歓喜を与えてくれるのです。
 そして、ビードロは美人薄命のように衝撃に対して弱いのです。
 1段めのタマは2段めに、2段めは3段めに、3段めは力いっぱい出力トランスにパワーを送り、出力
 トランスは低いインピーダンスに変換して電流をスピーカーのボイスコイルに送りこむという、まるで
 三尺の童子が考えそうなことを、アンプを眺め音楽を聴きいりながら感じている自分を、しみじみ幸せ
 に思います。
 オレのこれを作る苦労、これまでたどってきた長い道のりを誰が知っているものかと、自己陶酔と不
 満をないまぜにしてひとりで音楽を聴きます。
 「努力と愛情のありったけを注いでいま音を出している。
 マーラーもバルトークもきっとこんな気持ちで作曲していたに違いない。
 辛くて、悲しくて、生きたくて、そして死にたかろう」と、比ぶべくもない才能の持ち主を、不遜にも身
 近なものとして考えるときがあります。 いい気なものという以外に表現ができません。
      END
                                      (81年サウンドボーイ10月号より)
 『もみくしゃ人生』より
大喜利(おおぎり)

 シーメンスのスピーカーを扱うことで飯を食わしてもらっていますから、何の不足もありません。
 劇場用のスピーカーを、家庭に持ち込んで楽しめる条件を持っている人は、そうざらにありません。
 ドイツの人が腑に落ちないようなことを敢えて行なえる国に生をうけたことを感謝しております。

 私の好きの音、などと自画自賛に似たようなことを口にして、太平楽を唄いながら、このままで真空
 管のアンプを組んで長閑に暮らさせて頂きます。もう偉くなろうと思っても手遅れです。
 賢くなろうとしたところで、愚かにこそなれ無理なことは重々承知しています。 いまよりもっと愚かに
 なるのとを怖れているうちは無事安穏ですから、頭と身体を鍛えていなくてはなりません。
 そのためには働かなければならないのですが、貧しいという条件がそれを充分に満たしてくれます。
 世間には巨万の富を持ちながら矍鑠(かくしゃく)として働いておられる老人を見うけますが、これは
 例外中の例外で、決して私ども凡人のできる技ではありません。

 生き甲斐をもつには、何か目的を持つことで、人一倍貪欲でなくてはいけません。それは新しいこと
 に手を染めるというのではなく、自分の行なってきたことの中に未だ発見しなくてはならぬことが無
 限にあるのです。深く掘れば掘るほど新しいものに出合い、決して退歩になどならないのです。
 いままで飽きるほど馴れ親しみ、忌になるほどつき合ってきたその物に、興味を失わずに取り組んで
 いるのも人生です。経時変化をする生き物は別として、ステレオの世界では、リバイバルという言葉
 は気に食いませんが、ディスカバーの余地は枚挙に遑(きり)がないと思います。

 私の座右には古い真空管、トランス、スピーカーが山積みしておりますが、それらは私に向って「もっ
 と使ってみろ」と囁いてくれています。「まだそんなことで一人前とは言えないぞ」と睨んでいます。
 ノスタルジーで古いものを弄んでいるのではありません。もっとよいものである筈だと執拗に食い下が
 るのです。
 温故知新は常に身近にあって、敢えて探す必要もなく手を差し伸べて待っていてくれます。 
 生きている限り、よい狂言があれば芝居も見、よい演奏があれば音楽を聴きに、交際ではなく一人
 で楽しめるものを堪能して行きたいと思っています。その楽しみの為に苦しみたいと勤めます。
 現在の生態を堪能し、数知れぬ私だけがそう思う善意によって被害者を出し続けもし、他人の無為、
 ときには善意や悪意による余沢を蒙って生き永らえてきました。 他人の罵詈雑言も好意を持てば
 忠告として耳に触れ、悪意を持てば親切な忠告も罵倒としか感じません。
 私の縷々(ろうろう)書き連ねた放浪記も毀誉褒貶さまざまになるのは当然で、忌われるなら面を見
 ても虫唾が走るで本望、好かれるなら会うだけで嬉しい、という容で結構、相手の気持ちを察知する
 為には努力を惜しむことを知らぬ性質ですから、なんとなく交際するのなど時間の無駄で耐えられません。

 何の彼のと自分のことを誰でもがする独りよがりで書き綴ってきました。私生活の羅列を披瀝する、
 その厚釜しさは承知していますが、70年以上も生きてしまった老骨の足掻きと思ってお寛しください。
 自分のことを自分で書くくらい無責任で、見栄が伴って不確実なことはないのですが、清濁合わせて
 個性が剥き出しになってその人間の恥部があからさまに出、露骨な形で確実なこともあります。
 美しきに過ぎたり、醜さの誇張の余りに当人は無意識のうちに恥部を曝け出します。
 当人が世間の毀誉褒貶を真っ向から受ける善意の方法ですから賢い人は敢えて行いません。

 口を守ること瓶の如くするのも結構ですが、横着な態度といえないこともありません。
 襤褸を出さない方法としては罷り通るでしょうが、真剣勝負の出来ない輩の身を護るに冷厳なれ。
 式の卑劣さを感じます。隙を見せれば不覚をとり、殺されてしまう危険に身を晒すことを敢えて行な
 うのですから、君子危きに近寄らずで、黙して語らずのほうが優っていることも承知しております。
 しかし、付焼刃で述べれば鈍刀はそれだけのもの、鈍刀を承知の上で切っているのですから、その
 切れ味というより切れなさ加減を試して頂ければそれでよろしいのです。
 来てみればさほどのでもなし、の富士山の頂も登ってから言えること、遠くから眺めて美しいからの
 結果です。登ってから落胆するのも勝手、観念とは面白く、結果をいかに判断するか、納得するかの
 ほかには途はありません。行ってみなくては結果の出ないという平凡なことを長生きしたお陰で思い
 知らされました。人それぞれ好き勝手なことをほざいて暮らしている中で生きなければなりません。
 肯定するか拒否するか、好きか忌いかの二者択一という簡単な繰り返しで終わってしまうのです。

 真空管を手に入れて、それが何年何月何日の何時何分に断線するか、誤って破損させるかが解っ
 ていたら、自分の生命と同じ様に困惑するでしょう。未知があっての人生、耐用年数のある人生、
 それがあるのに関わらず、敢えて知ろうともせずに目を背けて生きている自分を顧みると、戦きから
 の逃避の為に、何かにしがみついていなければならぬことに気がつきます。

 流転の中に、自分の生態を見究めらられるまでには長い年月を要しました。
 凡人には凡人なりの観念が持てました。 世人がどう批判しようと当人は当人なりの小さな哲学を
 持ってしまいました。 狡猾という衣を被せて、辛うじて純真という自分だけが思っている良心を守っ
 て暮らしていけるようになりました。その狡猾さが自分の利益と同居しているものと錯覚していられ
 る幸せを感じるほどの、凡人になれました。
 俗に帰れとは高きを究めた知識のいうことなのに凡人になったなどとはまことにいい気なものです。
 肩を無理に突っ張っても来ましたし、「落ちこぼれ」と、しょげかえって過しもしました。その度に力づ
 けてくれたのは自分だけです。強がりは弱さからで、その弱さは強くなる為の条件です。
 本等に強い人なんて私は未だにお目にかかったことはありません。弱いから強く見せて、どうやら世
 間から人並みの人と言われているので、本等に強い人は強がりませんから世間から強い人と評価さ
 れはしません。強がろう、強く見せようとしないから本等に強い人ほど弱く見えるのでしょう。
 真実強い人は人と争わないし、敵に何の疑いもなく背中を向けていますからそのまま敵に襲われて
 死に至ると思います。大賢は大愚に似たり、のように強い者ほど、弱い者に似ているものです。
 私は軍隊生活で嫌というほどそういう輩を見てきましたし、スポーツマンのなかというより武道にそれ
 を見てきました。気の小さいものほど強いのです。矛盾していることが、「弱いイヌほどよく吠える」事
 実が実証しています。

 長い自分の生態を顧みて、吠えた時、尻尾を巻いて黙っていた時、それぞれを考えると、思い当た
 ることばかりです。 世渡りという忌やな詞があります。それは要領という、多くの場合狡猾などとい
 うふうに用いられる語ですが、それらを身につけて、それを見透かされないように、もっと狡猾に覆
 い隠して生きてきた人間が、英雄であり偉人であるといってしまえば、私の表現の狡猾さを人は蔑
 むでしょう。しかしそれを狡猾と意識しないでいられる人間がいたとしたらば、これほど幸福な人間
 はないと思います。そしてその人自身は数多い被害者の惨めさも知ることなく死んでいけるのです。 

 世渡り上手な人間とはこんな人を言うのでしょう。レスポンスばかりを気にして強がったり、弱がった
 り、結局は“がったり”で毎日を送らなければならないのが人生なのです。しかし、その“がったり”に
 も草臥れました。 自分の内容の不充実さがそうするのでしょう。
 私事をあたかも世間一般の人がだれでもそうであることのように錯覚してと滔々(とうとう)と述べて
 いることがつまりは牽強付会の世渡り術かも知れません。もっともこれがなくなるのは人間を廃業す
 るときなのですから、生きている以上、こうしてほざいて行くに違いありません。無意識の中にして、
 しまったと言い訳するものは、意識を喪失していたということを表現し弁解するくらいの意識があるの
 ですから、私は採り上げません。これは無能力な者であることを自分で表現して自衛本能を露呈して
 いるのです。泥酔に挙句の自分の行為にたいして「酒の上で」と言い訳する人は、「酒を飲まない」と
 きの狡猾さを隠し切れずに行なった行為を否定していることに気がつかぬほど、脳の構造が粗雑で、
 劣悪なのです。この狡猾さは時によっては気が小さくて、実直であると他人から評価されるものです。
 誰にも自己嫌悪があるのは、自己陶酔をする能力がある以上当然です。自己嫌悪に陶酔する事さえ
 あります。逆境とか苦境に陥った場合に、いくら逃避しようともがいても、逸脱できるものではなく、
 気を紛らわせる方法を探せば探すほど、その後に来る苦悩が増幅されます。 苦境を享受して徹底
 的に苦しみ、苦しいと思わぬところまで苦しむことが、逃避ではない超越の道です。
 私は私なりに有難い世代に生きて、私なりに没落して、その環境に暮らさせてもらいました。大きな
 会社というメカニズムの中での立派な歯車として回転し続け、定年退職して莫大な退職金を手にし
 て急にその日から回転できなくなった歯車という部品のいかに無価値であるかを、この目でまざま
 ざと見てきました。歯車は原動力のトルクが停止すると糞の役のも立ちません。相手のギアだのピ
 ニオンにモジュールが正確に合わせてありますから、他機種への交換が不能なのです。それが転
 職であろうと新しい人との交際における雑談であろうと同じ状態です。果ては孤立して、自分自身だ
 けが楽しめる趣味に耽ろうとしたところで、会社の部品で一意専心回転し続けて、滅私奉公を座右
 の銘として生きてきたからには、そうした素質は皆目ないのです。追い肥は完全に手遅れです。
 とたんに耄碌、恍惚の人へ一直線、真面目な人ほど多い末路です。これが正当の人生かも知れま
 せんが、私にはいかにも納得の出来ない生態なのです。過去の自分が到底堪え得られなかった生 
 きる道だったからです。

 忍耐力の強弱ではないのです。好きなことに対する忍耐力は自分で呆れ返るほど持ち合わせ、
 忌いなものに対しては皆無です。
 我儘ということは百も承知です。我儘ならそれなりの生きる方法を考えて、我儘が通せる環境を作
 るために忍耐を重ねました。それを忍耐と意識したのはずっと後のこと、好きな事をするための忍耐
 と言えば矛盾していますが苦しいから口にするので、苦しくなかったら忍耐という表現があて嵌まり
 ません。
 もっとも楽しむためには苦しみがつきもの、この苦しみは努力の疲れを感ずる現象をいうので、成果
 の歓びを享受するために必要な条件なのです。

 得だとか、損だとかほざいているうちは本当の人生は解りません。損得の比較、対照は人生の終着
 駅に到着してみなければ決められないもの、棺を蓋いで事定まるの通り、長い旅の果てでないと決
 着はつきません。しかしそのバランスシートに記入する数字は当人の観念によって決まるのですから、
 当人の価値観によって大きな偏差値が出てしまうのは致し方ありません。
 そのバランスシートは差し出がましくも他人が独自で作ってしまうことさえあります。

 いま拙文を書き終るところでほっとしていますが、人間、胸に秘めたことを言ってしまうとさっぱりして、
 まるで逮捕された犯人が泥を吐いたあとのように、ぐっすり眠りこける例に洩れず、私もそれに似た心
 持になっています。荷降ろし現象、とかいうのに魘れて老人性痴呆症になりかねませんから、「何もか
 も面白くねえ」に対して「何とか面白くしてえもの」と未だ毛がある頭に捻り鉢巻、それも豆絞りの粋な
 やつでアンプを組むことに邁進します。

 擱筆にあたって大勢の方々の御支援を受けたことを感謝しておりますが、私は敢えてその方々の
 お名前を列記する失礼を致しません。お一人当てにお礼言上する所存でおります。お赦しください。

   2008年1月4日 書き写しました。今になると自分に類似する考えがあります。
 『盤塵集(音の姿を求めて)』、『音の夕映え』の筆者、
 池田圭先生が我が家の音を聴きに来てくれました。
 病気療養中にも拘わらずです。先生の音の対する情熱には敬服します。
池田 圭 先生が我が家を訪問してくれました。
池田 圭 先生のお宅に佐々木氏、出口氏と訪問しクラングフィルム・オイロッパを聴きました。
池田 圭 先生宅へ寺島 靖国さん、中江清さんを紹介しました。
私にヴィンテージオーディオの世界を教えてくれた佐々木氏のオーディオルームです。
WE 16A、WE594、WE41・42・43、ノイマン・カッティング・レース、スカーリー・カッティング・レース、
グッドマンなど部屋いっぱいの銘品をお持ちです。
ウェスタン・エレクトリックのWE16Aホーンはデヴィッド・G.ブラットナーによって特許申請されたメタル
 製フォールデット型ホーン。水平カヴァレッジ・アングルが17ーAの2倍の60~70度あることと、奥行
 きがわずか25.625インチ(65.1cm)であることが特徴。外形寸法は全幅=106.75インチ(271.1cm)、
 全高=62.5インチ(158.8cm)、重量=375ポンド(169.9kg)。
 開口部は47インチ(119.4cm)×64インチ(162.6cm)
 16-Aホーン・システムには、9-Aアタッチメントを使用し555を2基搭載したヴァージョン(6016-A、
 音道長12フィート11インチ〔393.7cm〕)、6基タイプ(16-Aアタッチメントを2本使用)がある。
 17-A(15-Aホーンシステム)の水平指向性が狭いため、16-Aが開発されたわけではなく、その頃
 の大劇場では16-Aですら複数基用いるのが通例であった。
 本機はシャロウホーンと名付けられて発表された通り、バックステージの奥行きの無い場所での使
 用を前提として開発されたモデル。
オーディオファブの古屋さんの紹介で伺った逗子のI画伯。状態の良いWE16Aをお持ちで、私が聴いた
WE16Aでは一番の音楽を聴かせてくれました。以前熱海の別荘でWE 16Aを鳴らす方がいましたが、
縄でぐるぐるに締め上げていました。音も何となく苦しそうでした。WE16Aはオリジナルの布による
反響止めをしていないと鉄板の反響がひどく音量を上げる音楽は聴くに耐えませんでした。
横浜の佐々木氏の友人、故M氏のお宅のWEバスタブを聴きました。エリック・ドルフィーのラストデイトで
泣けました。
韓国の友人、Baeさんの別荘こクラングフィルム、ノイマン、自作アンプを聴かせていただきました。
クラッシックを愛する国民性か繊細な心に響く音でした。
 私のオーディオに対する”一にソフト、二にスピーカー、三にその人”と言う考えがあります。

 再生音楽に対して非常に真面目で内容の充実した音楽出版社発刊 『ListenView』
 途中より『Sound Stage』があります。
 この雑誌の特集で『いい音とは何か』より各有名オーディオ関係者が『良い音とは何か・理想の再生音を
 求めて』を主題にオーディオの有名関係者が語っています。
 現在廃刊になっておりこのまま消えてしまうにはもったいない内容ですので、No.5~No.9まで続き
 オーディオの真髄に迫る特集です。単行本としての再発が望まれますが多くの再生音楽エンスーに読ん
 でもらいたい内容です。再発まで紹介します。音楽出版社CDジャーナルだから出来た企画です。


“私の理想的再生音・オーディオ批評の原点にあるもの”山中敬三

「いい音とは何か」-これはオーディオの永遠のテーマ

♪ オーディオを語るには常に「いい音とは何か」と問い続ける必要があるのではないかと思います。
 そして、人それぞれが「いい音」のイメージを明確に持って、それを機器の選択基準にしなけれは、
 オーディオは単なる技術とスペックの話に終わってしまうのではないでしょうか。

山中 難しいテーマですね。オーディオというものが、この世に出て以来の永遠のテーマです。
 と言うのは音と言うのはそれを聴く人によって千変万化なんです。基本的なレベルというかクオリテ
 ィーはありますけど、そこから先の問題は個人個人の好みも入るしその人の体験もあるし色々なも
 のが絡まって、ちょうど料理の味の世界と同じで、「これが最高の音ですよ、本当のいいですよ」と
 いう共通項でくくれない部分があるわけです。例えば生の音に近ければ最高の音ではないかと云
 われればそうですが、ただ生の音を今度はある個人が聞く場合、その音を全部聴いているわけで
 はない。 そのうちの自分の必要な部分を取り出して聴いているはずです。ですから、個人個人に
 よっていい音の尺度がぜんぜん違うと思います。

♪ 個人個人の体験、あるいは感覚、聴く能力はさまざまですからね。

山中 物理的に聴く能力は訓練を受ければどんどん向上してくると思いますが、それと「いい音」とは
 関係ないわけです。 耳が物理的に受けたものを能でどのくらい感知できるかという問題ですから。
 それと音楽から受ける感動をどうとらえるかという問題はまた別です。音というのは音楽と純粋な音
 の問題と両方からんでいるでしょう。そこが非常に難しいと思います。難しいから逆に言うとオーディ
 オはそこで成り立っているんです。いい音はひとつではないんです。

♪ 今日はあえて、その難しい話をしてみたいんです。といいますのも、どうも最近のオーディオ批評
 家の発言には「いい音」に対する基本的な認識が不足していて、それがオーディオの記事を無味乾
 燥なものにしているのではないかと思うのです。山中さんの前でちょっと恐縮ではありますが(笑)。

山中 (笑)。確かにそういうところがあるかもしれません。ただ、私の判断はあくまでも私し個人の好み、
 テイストによるものです。

♪ 端的に伺いますが、山中さんはどういう音がお好きですか。

山中 自分の顔はいったいどういう顔なのかと言われたら言えないのと同じで、これは非常に難しい
 です。ただ、長年やっていますからこういう音が自分は好きなんだという認識はある程度ありますけど。

♪ 例えばある機械が新しく出て、それが技術的に優れたものであっても、自分の音の好みに合わな
 いとういことがありますか。

山中 あります。いくらでもあります。ほとんどそうです。

♪ そういうことをいろいろ考えてみるとオーディオの製品の評価は現状でいいのかと思
 うのです。

山中 結局、自分のテイストがどういうものかを言うことで、逆に言うと、人によってずいぶん違うんだ
 なということがわかるような説明ができるかもしれませんね。

♪ 絵画の世界で言いますと、たとえば印象派の好きな人はルネッサンスの時代で、今で言う写真
 のようの克明な描写をしたものはあまり面白くない。逆にそういう時代のほんとうに長い修練をして
 初めて可能な髪の毛一本ずつ描けるという絵を好きな人は抽象的な絵を評価しないということがあ
 ります。そのとき、評価する人は自分の好みを明確にしているわけです。ですから、オーディオやビ
 デオもこれからは山中さんの言葉でいう個人のテイストとか好みを織りまぜた評価が出ていいので
 ないかと思うんです。

山中 余談になるかもしれませんが、絵とか写真などのように静的なものを音の判断に結びつけるの
 は意外に難しいんです。ある1つの画で言えることは、絵の場合は写真とのない時代がありましたか
 ら、精細画から写実画を通って現代の抽象画が来ているわけです。そういうプロセスがないと今の
 抽象画は成り立たないんです。そうじゃないとあれは幼児が描いた絵と同じになってしまいます。
 ですから、絵描きにとってもそういう歴史、プロセスを通って初めてああいう次元に到達するわけです。
 絵の場合は逆に言うとスタィックなものですからある部分をデフォルムして、それをずっと追い詰めて
 いくとうい作業ができるんです。ところが、音の場合はそこまではできないんです。今の抽象画みた
 いな音は、たとえばベートーベンの交響曲を私はああいう音で感じで聴きたいというのでどこかの部
 分で拡大して、後は切り捨てていくという作業は成り立たないわけです。ですから音というのはある
 レベルまでは普遍的なクオリティは必ずあって、そこからどうするかという問題だけだと思います。

♪ 絵を受け取る側から言いますと、その絵がいいとか悪いと言うときには基本的な画家の腕、ある
 いは対象をつかまれる能力、対象を抽象化していく能力にほかに、受け取る側の人の好み、その絵
 からどんな感動を受けたかということが主体になった言動が多いわけです。ところがオーディオの場
 合はおっしゃるように絵とは違うけれども・・・・・・。

山中 だけど細部を拡大して言えば同じことなんです。ある部分をとらまえてそこを追求していくことは
 いい音の追及だと思います。人によって音楽のどこを取り出すかかの部分が違ってくると思います。
 平均的に取り出す人は絶対いないのです。指揮者にしたって実際に演奏するのは楽団員だけど、
 指揮者によってできてくる音楽がぜんぜん変わるわけです。そういうものだと思います。

♪ オーディオはパッケージされたソフトがあって、それを家庭で何がしかの装置を通じて聴くのです。
 そのときのかかわりが実際の生の音楽に接するときととはまたずいぶん違った要素が出てくるわけ
 ですね。

山中 ただ基本的には自分の家で音楽を再生して楽しむ目的は、音楽会へ行ってそのときに得た体
 験のなんらかの形での再現で少。そのまま再現することはできないにしてもなんらかのイメージが自
 分の家の装置で出てくるか出てこな いか、そこが「いい音いい音でないか」のポイントだと思います。

生の音楽の感激を追体験できる音が理想
♪ 昔のことになりますが、レコードコンサートが盛んだったときに生の音とスピーカーから出てくる
 音をわからないように途中で変えるといったことが行なわれたことがあります。それがいわゆる原音
 再生と言われたものですが・・・・・・・。

山中 私が言った意味はそういう原音ではないんです。原音というのは自分で体験したときの原音を
 いかに出すかということです。

♪ 100人のオーケストラの音を6畳間の部屋でどんなに優れたスピーカーであっても出せるわけが
 ないですね。山中さんのおっしゃっている原音再生はそういうことでなくて、逆に音楽の生体験で感
 動したことがあって、それをオーディオで聴くときに追体験できるという意味での原音ですね。

山中 そういう意味では完全に原音再生を目的とするわけです。

♪ そうするとやはりオーディオというのは繰り返せば生の生の体験の感動を追体験出来る音が「い
 い音」ということになりますね。

山中 それしかないですね。おんがくなんていくら譜面を見たって、プロの人は音楽が頭に浮かんでく
 るらしいけど、私なんかはとても無理です。演奏家が実際にそれを具現化してくれたものについてこ
 ちらが感動を受けるかそうでないかという問題です。演奏されてはじめて実現するわけですからね。

♪ 記録再生の手段がないときはそれだけが音楽を楽しむ唯一の方法だったのですが、それが百何
 十年かの間で、なんとかそういう音を記録して、また復元して楽しむことが可能になり、やっと今日の
 デジタルを応用したCDの時代まで来ているわけです。そこで、いい音だ、悪い音だという道具に対し
 ての判断が出てくるわけですね。しかし、その道具の良し悪しの判断は、おっしゃられたように、生の
 音楽体験の感動を追体験するという視点からなされる必要があることになります。そうすると、やはり
 個人個人の音楽体験は様々ですからいい音は人によってまた違ってきますね。

山中 好みが違う一番の原点は、たとえばコンサートに行くでしょう。コンサートへ行って自分が自由
 に席を選べるとしたらどこに座るか。これがまず最初の違いです。人によると全体を見通せるような、
 舞台を俯瞰(ふかん)できるところ
 から全体を聴く人と、わりと近づい聴きたい人がいますが、よれによって基本的にずいぶん違います。
 私はどちらかというと前の方で聴きたいんです。要するに直接音を聴きたいんです。

♪ それは人によって違いますね。楽器はホールで響いた間接音がたっぷりあってブレンドされた音
 が好きという人もいます。

山中 演奏者にとってこういう音をねらっているんだなというイメージはほんとうはそっちかもしれませ
 んね。全体を総合したもので音楽は出来ていますからそうなんですけど。でも私はどちらかというと
 よれよりも近づきたく成るんです。レコードの音楽が基本的にはそれなんです。あれはまずなんでも
 近づいて、実際に生で聴くよりももう少し近づかないと生らしくならないという点がありますけど、そう
 いうことで常にクローズアップしてとらえるのが、パッケージ音楽の基本になっているわけです。
 私はそれで育ったせいかも知れませんけれども、生の音楽もわりと前のほうへ行って聴きたいんです。
 極端に前は駄目です。指揮者のすぐ後なんていうのは音がぜんぜんバランスが取れなくなりますか
 らだめですけどね。少なくともプレーヤーの顔が見えるぐらいの距離です。

♪ なるほど、その位置で聴く音が山中さんにとって一番「いい音」なんですね。オーディオの場合は
 いかがですか。 

山中 第一段階として最初にレコーディングしたエンジニアがからみますけど、その人の好みが完全
 に入りますから、その人のバランスでレコードは作られるわけです。
 それを買ってきて今度は自分の好みに直すわけです。

♪ ご自分のイメージのなかで演奏者に肉薄したような、表情が見えるような音にして聴かれるわ
 けですね。たとえ間接音がたっぷり入った録音でも。

山中 そうですね。ただレコードというのは録音されたときにだいたいコンディションが決まってしまい
 ますから、それはそれで聴くしかないですね。ただ、もしそのなかに入っているものだったらなるべく
 そこを引き出したい。自分の好みを再生するといえばそれだけのことじゃないですかね。

♪ 何%と数字でではいえませんが、音の一定の要素はレコーディングで決まってしまう。
 それを自分の好みにある程度変えて聴けるのは、オーディオ機器の音の違い、あるいは使いこなし
 によるわけですね。

山中 ええ。また実際に自分の再生装置で聴く場合でもうんと離れて聴く人とわりと近接して、ともか
 く直接音を聴きたいという人と両方がありますね。

♪ 山中さんの場合はスピーカーの位置関係で言うとあまり遠くなくて、演奏会のときになるべ演奏者
 に近づきたいというのと同じように・・・・・。

山中 ええ。部屋の残響や間接音が全部は入って完全にミックスされた音を聴くよりも、むしろ直接音
 は直接で聴いて、間接音は別に入ってくるような聴き方が基本です。

♪ そうすると比較的アコースティックで残響の長い、ライブな部屋で聴く場合よりは、むしろ音の質が
 相当よくないと聴いていられないので難しいでしょうね。

山中 そうですね。そうかといって無響室で録音したものがいくつかありますけど、ああいう感じに近い
 音というのは面白くないですね。音楽というのは残響成分があって、初めて響きになるんですから。
 それは絶対条件です。

♪ しかし、そのなかでも直接の音をメインに耳を集中させておられるわけですね。

山中 耳が向いているのほうからちゃんと直接音がとらえられて。そのうえで残響がきれいに作られて
 いるのが私にとっては理想の音です。

演奏家のエネルギーが伝わってこない音は意味がない
♪ その理想の音を手に入れるためのオーディオ機器を選ぶのが次の問題になりますが、どういう要
 素がポイントになりますか。

山中 まず一番大切なことは音にエネルギーがしっかりあるということです。これが私にとってはいち
 ばん大切なポイントです。というのは、音楽というのは生身の人間が遣ります。生身の人間がその人
 の筋肉を精一杯使って、楽器をひくにしても自分で歌うにしても、ともかくあれは肉体労働で、あれは
 エネルギーなんです。それが出ないと面白くないですね。たとえばピアノで言えばピアノの鍵盤を強
 く打ったときの感じが出るとか、人の声だったら人の声の持ってる力とか。聞き手に対してともかく最
 良の状態で伝達する為の歌い方ですから、そういう感じが出てこないといけない。われわれがしゃ
 べっているのとぜんぜん違うわけですから。

♪ だいぶイメージがはっきりとしてきました。山中さんにとってオーディオの「いい音」はそこになるわ
 けですね。

山中 私は一貫してそうなんです。

♪ まず何よりも演奏のエネルギー感が。

山中 それがまずこっちに伝わってこないものは音楽ではないと思います。

♪ そういう理想の再生音に対するイメージが山中さんのオーディオ批評の原点なんですね。
 その点をもう少し日頃の発言に強く出していただけると、もっとオーディオの記事が楽しくなると思う
 んですが(笑)。

山中 私のスタンスはいつもそこにあるんですがね(笑)。

♪ 今は特にCDですと再生周波数帯域は下は数ヘルツから上は20キロヘルツまで、そのほかそれ
 に伴ってダイナミックレンジとかSN比はだいたい決まっています。ですからそういう特性で表せる部
 分はほんのわずかな部分ではないか。そして山中さんがおっしゃるような演奏家のエネルギー感が
 伝わってくるというような要素にこれから目を向ける必要 があるのでないかと思います。

山中 ジャズが好きでジャズばかりやっている方は基本的にはそうなんです。自分のシステムをそうい
 う方向に全部そろえるという人がけっこういましけども、クラッシックの場合は意外と少ないんです。
 だけどクラッシックだって同じなんです。もっと激しいかも知れない。

♪ よくオーディオの音をほめるときに、滑らかな高域で衣ずれのようにきれいだと言いますね。

山中 漂うようなとか。だけど漂うような音を出すのに演奏家はどのくらいエネルギーを使っているか。
 ですから、激しいパッセージではなくてピアニッシモでスーッと消えるように音が消えていく場合、
 あの時のプレーヤーの息を詰めるようなたいへんな努力が伝わってこないと音楽はだめですね。

♪ ピアニッシモになってディミニュエンドして音が消えていくときは、ふつういい機械の評価は乱れな
 くきれいにスーッと消えていくことですね。

山中 とにかくノイズが全然なくて綺麗に消えていけばそれでいいというふうになっていますけれども、
 粗衣ではないですね。

♪ よく聴きますとヴァイオリンの場合でもややかすれかかってくるような感じでしか消えていかない
 ですね。そういうイメージがもう少しオーディオで主張されていいのではないかと思います。ただ綺麗
 に滑らかにというのが評価が高いのは良くない気がいたします。ここ数年のオーディオ機器はどうも
 きれいにきれいにという方向にしか行なっていないような気がするんです。

山中山 そうですね。ですから、ヴァイオリンの評価でオーバートーンが非常に綺麗に聴こえるとおっし
 ゃる方がいますけれども、おーバートーンはもちろん大切ですが、譜面に書いている基本帯域の音
 がエネルギー感を十分に持っていないとぜんぜん意味がないんです。ようするに音楽のファンダメ
 ンタルです。その帯域がちゃんと出ていないと音楽は再現できないはづですけど、いまの再生系の
 ハードはどちらかというと倍音成分とか、サブハーモニッカーから得られる音よりはるかにクオリティ
 ーの高い音が得られるし、今でもそれでしか音楽が聴けないという人が沢山います。

ハイフィディリティ志向がもたらしたもの
♪ そういう好みから最近の機械を見ていかがですか。

山中 最近の機械の出来は悪いですよ。特にスピーカーね。アンプは一応無差別に増幅してくれます
 から、そこから先の色付けの問題はまた別の問題ですが、ある帯域を持っていたらその帯域はほぼ
 均等に再生してくれるはずです。ところがスピーカーは設計者によってどのへんに重点を置いている
 かは見ればすぐわかりますし、実際に聴いてみるとそうです。

♪ 時代の好みも一定レベルでありますが、この十年間は帯域を広くとかフラットにという考え方で、
 ファンダメンタルが少し薄味になるという傾向はスピーカーにもありますね。

山中 ありますね。それはハイフィディリティという言葉が出来てオーディオが盛んになってきたわけで
 すが、その歴史は結局、ファンダメンダルはもういい、出来ているからもう問題ないからやはりハー
 モニックス、サブハーモニックスをともかく拡大するのがハイフィディリティの道という大前提があった
 わけです。もう40年くらいそれをやっているわけです。やってきてハッと気がついてみたら真ん中は
 むしろ薄まったという感じです。

♪ 上下ばかりいいすぎて、振動板の開発がそれに典型的に現れていて高域はダイアモンドコーデ
 ィングまで進みましたし、低域の新素材の開発は日本では特に盛んだったわけです。
 ところが、たとえばスリーウェイでいうと・・・・・・。

山中 ミッドレンジのね。ミッドレンジの新規開発はほとんどないでしょう。

♪ 忘れられて。評論家の方もスコーカーはもう十分だ。問題は高域と低域の問題だという人が多か
 ったわけです。

山中 そうですね。ただ、音楽の聴き方、その人の体験の仕方によっては、例えばホールのうんと後
 ろの方で聴くのが好きだという人の場合には、そのへんのファンダメンタル、ベースバンドのエネル
 ギーはあまりいらないんです。かなり直接音は遠くなって、完全に間接音が混ざってきますから、
 エネルギーとしては落ちるわけです。音のバランとしてはそのへんは非常に大事ですが、エネルギー
 はあまり必要なくなってきます。そうすると、例えばアメリカのハイエンドが好むようなスピーカーはそ
 ういう意味合いでは成り立っているんです。

♪ たとえばコンデンサータイプとかオールリボンの平板型ですね。

山中 えー、あれは部屋に大きなライブステージが展開するようなイメージです。だから、かなり離れ
 てそれを鑑賞する立場でいきますとあーゆうスピーカーも成り立つのですが、わたしの音楽の体験
 からいくとあれは考えられないんです。 ただ、私も時にはBGMのようにフワッと音楽を聴きたい時
 があります。そんな時はああゆうタイプのスピーカーもいいなと思います。ただし、ここ一番きちっと
 音楽を聴くとなると駄目ですね。しかし、そういったちゃんとした音楽の持っている本質的なエネルギ
 ーを出せるスピーカーは、逆に言うと再生する時に簡単にはいかないんです。
 エネルギーばかりが表に出てきて音楽としてのバランスが悪くなったりするのが、そういうものをコン
 トロールしながら使うというのがオーディオなんです。

♪ 楽しみがあるわけですね。

山中 苦労してやっと何とか自分の理想の音に出会ったときは、本等にオーディオをやってきてよかっ
 た、と思います。また、そういう喜びに価値を見出す人でなければオーディオは意味がないんですね。
 そうでなければ高いお金をかけて、 しかも時間をかけてやる意味はなんにもないですよ(笑)。

 Intrerview [ゲスト]黒田恭一  [ききて]早瀬文雄
チェロと旅する1つの時代
 
音楽評論家、黒田恭一氏のオーディオシステムへのこだわりにはエッセイやオーディオ誌での発言
 として、僕自身けして少なくない影響を受けてきた。通俗的なオーディオ評論というスタンスとは違っ
 た場所から核心をさりげなく突かれた文章を読み、あわてることが多かった。黒田氏は現在、ご自宅
 のオーディオシステムで 「チェロ」のアンプを使用されているという。そこで今回、チェロをはじめとす
 るオーディオ機器とのかかわり方を語っていただくとともに、最新のオーディオパレットMIVを実際に
 聴いていただき、常に時代の音、時と共に変化していく音に敏感でありたいという氏の意見を伺うこと
 にした。

オーディオは"直感〟で選択 ハッと惚れてつきあいだす


 僕自身、一人の音楽好き、オーディオ好きとして黒田さんの文章の読者であった頃、何やら、ひょっ
 とすると寒色系の音がクールな音がお好きなのかな、という印象を抱いていた。その点についてまず
 お尋ねしてみることにした。黒田さんは、微笑みながら、こんなふうに語った。

 「たしかに、以前はどことなく冷たいような音が好きでした。温かい音というのは難しくて、ちょっと鈍
 い感じがする。そういうわけで、自然にすっきりした音の方向にひかれていったのだと思います。
 とにかく、オーディオ装置の音というのは、やはりふだん家で聴いているものが音の判断の基準に
 なってしまう、それをもとにして、いろいろな場所で聞くオーディオ装置の音を、いわば相対的な比較
 として認識するわけです。だからこそ、自分の部屋で鳴っている音を軽く考えてしまうというのは、
 ある種の怖さがあるわけです」 

 たしかにその通りだと思う。

 「自分では装置をしっかりと使いこなしているつもりでも、実は使われてしまっている部分があるので
 はないか?そういうことをいつも思っているんです」

 これは、なかなか耳の痛くなる指摘だ。装置によっては音楽との相性に偏りを生じてしまうことがある。
 そういう時、僕たちは知らないうちに、聴く音楽の傾向が変化していることに後から気付いてあわて
 ることがある。

 [ピアノの音が好きといっても、ポリーニのように鋭い音やアラウのように、いかにも深みのある響き
 を出す演奏家では装置に要求されるものが違うということもあると思うんです。しかも、オーディオ装
 置はけして安いものではありませんから欲しくても手が出ないということもあるわけですよ。
 内心、忸怩たるものがあるわけですよ、仕方なく妥協するというのは(笑)」

 しかし、とても印象的だったのは黒田さんの次の発言である。

 「たとえば、結婚に際して、近頃の女性は『3高』などということを言う。つまり、背が高くて高学歴、
 高収入。これを基準にいろいろな相手を比較して最後に選択するわけでしょう?でも、これってある
 意味ではとっても不純じゃないかと思うんです。むしろ、ハッと惚れてしまって、それでつきあいがは
 じまるようなね、そういうかたちの出会いのほうが素敵なんじゃないかと思うんです。僕のオーディオ
 との出会いも、そういう形であることが多いんです。条件や内容であれこれ比較するんじゃなくて、
 直感で選択する。ですから、時にはマルポチャの音とつきあうことになったり、すっきりと細身の引き
 締まった音になったり・・・・・・、結局はそういうことなんですね」

 とはいえ、その直感の背景になっているものがあるはずだ。


 
「やはり、変化していく時代と音楽、そして自分というものにきちんと同期させることができる、という
 点ですね。音楽の移り変わりや、演奏がめざしている方向性に敏感でありたいんです。それを曖昧に
 してしまったり、装置の個性で一色になるような世界は避けたい。ともかく、オーディオは科学ですか
 ら、物理的のクオリティがやはり気になる。なんていうか、物理的なところで不足していると音楽への
 反応が鈍くなると思うんです。ですから情緒的のものを求めるということはないですね」

時代の先端を指向している部分に触発されるチェロの製品

 黒田さんのスピーカーの遍歴は、アメリカのAR3aからはじまってJBL4320、JBL4343、アコースタ
 ット#6、そしてアポジー・ディーバという流れをたどっている。


 
「僕は以前から時代の音、そのようなものがあるような気がしているんです。演奏家にしてもトスカニ
 ーニ、カザルス、あるいはフルトヴェングラーといった骨格のはっきりした演奏や音色から、線のほそ
 い音に変化していってる。背景にはいろいろな時代の変化がある。たとえばポップス系の歌手なんか
 でも、以前はバリトンの太い声が多かったのに、最近では主体がテノールになって、しかも全体に繊
 細になってきた。どうやらそこには時代が求める何かがあるんじゃないかと思いたくなる。そんな変
 化に追いつけなくなることは怖い。ましてや一つのオーディオ装置にしがみつくことによって、聴き手
 の感覚が古くなってしまうのではないかと不安になる。ですから、僕はオーディオの「名器」と呼ばれ
 ている過去の製品を使いたいと思わないんです。名器が聴かせるその時代の音に自分が止まってし
 まいたくない」

 黒田さんは、今、アポジーとチェロという組合せで″一つの時代〟を旅しているのだ、と言った。
 今はそれで満足しているのだ、と。

 「マーク・レヴィンソン(チェロ・ブランドの創設者)という人の作るオーディオ機器には、よきアマチュ
 アリズムというべきものが感じられて、再生して音楽を聴くことをほんとうに愛しているんだなというこ
 とが音の向こう側に見えるんです。聴き手としてはそこに刺激をうける。彼自身も、あきらかに時代と
 ともに変化し、常に時代の先端を指向しているようなところがありますから、そこに触発されるんです」

オーディオパレットには自分の音楽の聴き方が試されるような怖さがある

 たとえば今回、黒田さんのシステムに繋いで試聴してみたチェロのオーディオパレットMIVは時代の
 音を追いかけていくためのイクイップメントたりえるかどうか。

 「これは、使い手に挑戦してくるようなところがある製品ですね」と黒田さんは言う。
 「この装置をいじることによって自分の音楽の聴き方がそこにさらけ出されるという、これまでにない
 怖さがあるオーディオ機器だという気がします」

 たしかに、こうしたイコライザーをコントロールするということは、聴き手がより積極的に再生音楽の
 最終的な音づくりに参加するという意味で、その人の音楽の聴き方が試されることになる。

 「僕は、今手にはいるCDの録音がすべて完全なものだと思っていません。されに、かってのLPで聴
 いたカザルスやトスカニーニの音楽をCDで聴くとずいぶんと違って聞こえる。なんだか、これは一つ
 の問題に対して正解が二つあるみたいな結果になって困惑する。そういう時、このオーディオパレッ
 トでバランスをとり直し、音楽を聴くという行為そのものに、より現実的な折り合いをはかることができ
 ると思うんです。少なくとも、一つ目盛りを動かすということの意味、その意味に含まれる重みを意識
 してつまみを動かすのなら、つまり、演奏者や音楽に対する愛情をもってコントロールするかぎりにお
 いてはバランスを調整し直すことが活きてくるはずです。むしろそうした行為を、使い手が技術的にう
 まくこなしえれば、パレットは必需品になる可能性もある、そういう気がして、これはまずいものを知
 ってしまったと、内心おだやかならざるものを感じましたね」

 そういって笑いながらパレットを見つめる黒田さんの目には、何かしら真剣なものが見え隠れしている。 
 ひょっとすると、これは直感的に惚れ込んでしまうという黒田さんのオーディオ機器との危ない出会い
 になってしまったのかもしれない。

機能に正直に反応したデザインはなんともいえない美しさを感じさせる

 チェロのアンプが漂わしている視覚的な雰囲気にも魅力を感じているという黒田さんに、そのあたり
 のことを最後にたずねてみることにした。「それにしても」と黒田さんは言う。

 「たとえば、木目の自動車なんて、ちっとも美しくないでしょう。むしろ気持ちが悪い。やはり機能を追
 及したもの、機能に正直に反応したデザインというものはなんともいえない美しさを感じさせるものな
 んです。オーディオ機器のデザインはやはり、作っている人の確信がにじみでているようなものがい
 い。結局のところその製品にどれだけのことができるか、という内容そのものだって重要な要素にな
 るはずです。チェロのアンプは、パレットにしてもアンコールにしても、赤いパイロットランプが効いてい
 るのか、冷たそうでいて、冷たく感じられない。もちろん、それだけでなくて、あれだけの内容をもって
 いるから、この端正な佇まいが魅力なるんです。これが中身がさっぱりで、なんだかひどいものだとし
 たら、この顔つきにしたって、なんだかやけに澄ましてるじゃないの、どうしたの? ってことになると
 思うわけですよ」

 思わず爆笑というお話である。

 「パレットなんか、こんなにすごい内容があるから顔が活きる。なんていうか知的で素顔が美人、お
 化粧していない感じ。少なくとも、厚化粧してピアスをしてるみたいな、そういう顔ではないでしょう」

 そう言われてみれば、たしかに世の中にはそういうケバケバしいお化粧したアンプがある。そう、夜
 の歓楽街みたいな雰囲気のアンプだ。チェロの製品は、そうしたところからは隔絶した、いわばある
 種の聖域で超然としている。ある意味で近寄りがたい端正さをたたえる女性のような気配がたしか
 にあると僕も思う。時代の先端を追うことは、ある意味では虚しいことかもしれない。しかし、時代を
 横目でながめながら、何もしないですでにある場所に踏み止まり、安閑としていることが、充実した、
 満たされたことかどうか、僕にはよくわからない。チェロのアンプはマーク・レヴィンソンという一人の
 人間の生きかたや音楽に対する愛情を感じさせるだけでなく、音楽そのものと馴れ合うことを嫌った
 ある種の緊張感を失わせない、類まれな素質があるような気がする。そういう音であり、姿かたちな
 のだ。チェロ自身のレゾン・デトゥール(存在理由)はまさにそこにあるのではないか、僕自身そんな
 ことをあらためて感じた一日だった。
 私自身はマーク・レヴィンソン自身の製品は最初期1973年にLNP-2、JC-1を使ったことがある
 が残念ながら私の感性には合わず以後も使ったことはない。
 上記の黒田恭一さんとは愛犬繋がりでお付き合いさせて頂いています。
特集 アンプの生理学
 オーディオシステムの中でアンプの働きは、いわば人体における心臓であり、また生命維持の全て
 を司る大脳でもある。時には情動を支配するホルモンでさえある。プルグラムソース入力機と、最終
 出口であるスピーカーの間にあって、アンプの働きは実に複雑精妙を極める。その働きをあらゆる
 角度から点検する、すなわちアンプの生理を熟知することがなくては、理想の音楽再生はかなわな
 いのである。
再生音に〝文化〟を生み出すアンプの使命を考える
理想のアンプとは何か   菅野沖彦
アンプの存在理由を考える 
 
アンプというのは、スピーカーを鳴らすためにあるものだということがまず第一のポイントだと思います。
 本来スピーカーを鳴らすためだけにあるのだから、スピーカーがアンプ無しで鳴ることが本等は理想
 なのです。アンプはよく増幅度をもったハリガネをいうように言われますが、増幅度を持ったハリガネ
 という部分は、いわばラインまでの増幅の部分であって、それ以上にスピーカーをドライブするドライ
 ブアンプ、つまり電力アンプですが、この部分の方が重要ではないかと思います。一言でアンプと言
 いますが、アンプにはいろいろなステージがあるわけです。スピーカーをドライブする部分一般にこれ
 をパワーアンプとかメインアンプと言っています。そして、その前の部分を総称してプリアンプとか、コ
 ントロールアンプと言っています。ところが、プリアンプの部分にも実はいろいろな機能があってなか 
 なか内容を正確に呼ぶ名前がない。プリアンプというと、前段アンプという意味なので、概念としては
 っきり持てないかも知れないが、コントロールアンプとプリアンプは本来まったく機能が別のものです。
 つまり、コントロールする、調整をするという機能とそれから
 本来のプリアンプの意味である前段アンプとは、回路も機能も全然違うわけです。しかし、こういう機
 能を総称してプリアンプと呼んでいます。従って、アンプは全部電気回路ですけれども、それぞれの
 部分によって非常に意味が違うものです。スピーカーと直接カップリングされすパワーアンプの役目
 が非常に大きいと思うのです。パワーアンプというものは、スピーカーをドライブする為のアンプであ
 るということで、思想としてはスピーカーと一体となって本来なのかも知れない。

 
しかし、スピーカーの性格というものに対して、パワーアンプがオールマイティーであることは非常に
 難しいと思います。スピーカーは非常に個性的な音色問題からまだまだ脱却できない段階にありま
 すから。ある意味ではオーディオというのはスピーカーの世界であって、一種のあだ花のような世界
 だろうと思います。スピーカーがそれぞれ非常に個性的な正確を持っているからこそ、実は魅力的
 な世界だという部分があるので、そういう点を考えれば、将来音色問題から脱却して、どのスピーカ
 ーも非常に単純に優秀な変換機であるということになったときに、はたしてオーディオは面白い物か
 どうかというと、非常に大きな疑問があります。オーディオがある独自の世界であるというのは、スピ
 ーカーがああいう音色問題を持っているところにあるのではないかと思うのです。人間の感性が千
 差万別であって、スピーカーの千差万別の音の世界と結びついて、趣味の世界が成り立っている。
 その千差万別のスピーカーのそれぞれを、最大の効果を持って鳴らしたというのがパワーアンプな
 のです。ですから、アンプだけを独立させて、こういう音のアンプ、ああいう音のアンプということを言
 いますと混乱してしまう。例えばマークレヴィンソンのアンプはこんな音がする、マッキントッシュのア
 ンプはこんな音だ、日本のアンプはどうだというような言い方をしますが、これはどうもアンプにふさわ
 しくないと思います。

 ただ、プリメインアンプという一体型のアンプではプリアンプという非常に複雑なコントロール機能やイ
 コライザーを持った部分がありまして、この部分は電気的に音の色や味を作るという役目を持ってい
 るわけですから、これはちょっと分けて考えたい。スピーカーは、個々のスピーカーによって電気的
 な特性もまったく違う。それはスピーカーのパフォーマンスを表現する周波数特性が違うというような
 単純な問題ではなく、動作特性が違う。一番象徴的なものはインピーダンス特性だと思いますが、
 個々の製品によってインピーダンス特性がまったく違う。電気インピーダンスというのは、電気回路
 が作動する時に、電気回路の挙動を完全に左右する物です。一番わかりやすい例で言うならば、
 例えば自動車にはエンジンやサスペンションや、ステアリングという部品がありますけれども、いちば
 ん大事なのは、その車がどのぐらい目方があって、そしてどのくらいの口径の車輪が最終的にどのく
 らいの減速比で回されるかで、それによって同じ100馬力のエンジンでもまったく違った性能を生み
 出してしまいます。ですから、車のタイヤの口径とか、ギヤの最終減速比などを無視して、こっちの車
 は100馬力だ、こっちの車は80馬力しかないといっても、まったくナンセンスです。それと同じで、
 実をいうと電気回路は、それに繋がるインピーダンスの特性によって、まったく動作が変わってくるも
 のですから、どんなスピーカーがそこに繋がれるかによってパワーアンプの能力は非常に大きく影
 響を受けてしまうことになるのです。(後略)

●私のポリシー、オーディオは1にソフト、2にスピーカー、3に人間性との考えが菅野沖彦さんと
 考えが近いです。
 菅野さんとは「レコード演奏家クラブ」でお付き合いさせていただいています。
@
ListenView No.5より
iいい音とは何か 理想の再生音を求めて
 オーディオ再生において『いい音』とは一体何なのか。 この問いは、生とは何かと問うと同じくらい
 根源的のものだ。たぶん万人に共通する答えはでないであろう。 しかし、いい音とは何かと問い続
 けることがなければ本来、機器の評価も選択もできないはずである。人は、それぞれの「いい音」を
 求めてオーディオに打ち込む。そのイメージが明確でなければ、オーディオは始まらない。
 最近のオーディオ記事は、いかにこの問いから離れたところにあるか。
 あいまいな形容句を連ねることは不毛である。これから一年にわたって本誌は、できるだけ多くの人
 に「いい音」とは何か問いかけていきたい。(1990年)
 この表題だけを書き写します。関心ある方は本を探してください。
●貝山知弘 
 これしかないという実在感をもって愛するディスクを聴ける音

 私を触発したもの・・・・・・・

 より確かな実在を感じさせる音へのアプローチ


@
●高橋幸夫 〔日本コロンビア(株)ソフト技術本部〕
 「理想の再生音」を考える
     レコード製作者の立場から
 
 Ⅰ. スタジオ調整室の音響

 Ⅱ. 録音現場における再生の実際

 Ⅲ. 家庭における再生

●江川三朗
 ステレオ音の「よい音」について
    オーディオ・メカニズムと磁気の影響を考える

 生命維持に深くかかわる聴覚

 人間の声こそが基本

 「よい音」の必要不可欠な現象

 磁気と振動のこわさ

 磁気をなくすメリットの大きさ
 
@
●及川公生
 素直だからこそ手強いエクスクルーシヴ・S-5の「いい音」

 
いい音とはミュージシャンが満足する音

 効果抜群イコライザー ド迫力ならリミッター

 S-5は音場の現れ方がスタジオモニターに似ている

 S-5でアンプを聴き比べると・・・・・・

 強めの高音とたっぷりした低音と
 
 あまりにも喜びの多いアンプ
 
 ゾッとするほど生真面目な表現

 楽器の音色を魅力的に力強く自然な響きで鳴らす

 いつもそこに音楽のイメージがあった
 
●行方洋一
 アーティストの心のひだが色っぽくエネルギー感をもって伝わる音 
             録音エンジニアが満足するいい音の条件
 
 本物らしく聴かせるのが使命

 音の調整は女性ヴォーカルで

 聴き手に欲しい豊富な体験

 使い方で決まるスピーカー

 
●柳沢功力
 理想の音を追求するスピーカーシステム

 僕が求めてきた音とは・・・・・・

 僕の理想の音の原点は青春時代のナローレンジの自作ステレオにある

 厚く、エネルギーに富んだ中域の音色が聴く者を説得する

 ヴァイオリンの弦のこすれる音・・・・・・・ 
 喉の奥から口許までが音響ホーンのような
 F・ディースカウ・・・・・・媚薬がもたらす官能美に酔ったような陶酔感に僕はつつまれた

ListenView No.6より
●石田義之
 ナマでも再生音でもバランスのとれた音が理想的

 ラジオ少年が歩んだ道は『いい音」の飽くなき追求

 「いい音」を楽しむ最低条件として、CDプレーヤー、アンプ、スピーカーの基本システムに
 100万円を投ずることを提案したい

 理想のシステムを構成するには100万円を目安にしたい

 迫力と緊張感、広がる音場 これが100万円コンポの中味
●神崎一雄
 リアリティのある音場感と空気感を伴う音像定位があれば音楽をゆったりと楽しめる

 本当に「いい音」は自然の中にしか存在しないかもしれない

 マイクロフォンの課題

 「いい音」を再生装置に求めるとき、いま一番大きなネックはマイクロフォンの能力ではなかろうか

 音場感と音像定位の問題

 マーチンローガンでさまざまな機器の実力を探ってみる
●傅 信幸
 スピーカーの間に浮かびあがるステレオ・イメージを最優先

 「もっといい音で・・・」とCDのざわめきがきこえる

 空気が楽器に化ける。ヴォーカルの音像が浮かびあがるー
 このイメージを体験できることが、私の「いい音」なのだ。

 「ステージ」からいいい音を引きだすシステムとは

 高音域の透明感が高いマーク・レビンソンのNo.27L

 理想のサウンド・ステージがもたらす至福の時間に耽る
服部文雄 〔ビクター音楽産業(株)ソフト技術部〕
 理想の再生音を考える
       
録音エンジニアの立場から

 
「理想の再生音」とは何か

 録音エンジニアはあらゆる芸術にも積極的に触れ自身の感性を高めている。
 そうした感性と個性が創りだす音こそリスナーの理想の音につながる。

 モニタールームの条件

 スピーカーと楽器録音の実例

 おわりに


 
ListenView No.7より
●菅野沖彦
 感性によって受止められ、情緒を豊かにし精神の糧になるような音

 
物理特性や性能の優劣で「いい音」は論じられない

 音響美学を体系化する必要がある

 技術の進歩は必ずしも「いい音」に結びつかない

 150Hz以下の帯域の良質な再生が基本

 生の演奏者のイメージに何処まで近づけるか

 最終的にはその人の感性が問題
@
●杉山知之 メディア科学研究所研究員
 生理的にも知識的にも素直な気持ちで音と出会っていくしか「いい音」は得られない

 いい音と出会う至上の響き

 プロの音

 イチ・マル・ヨン

 気持ちイイ音

 空気あっての音

 知識で感じる音

 自由な心で聴くしかない!
@
池田 彰 東芝EMI録音編集グループチーフミキサー
いい音ーそれは聴く人の想像力にゆだねるしかない

 録音は記録

 いい音を求めて

 録音には意識が必要

 音楽の必然的発生

 肉体労働が良い音の始まり

 録音中はオーディオマニア

 古い録音ほど音楽的か

 酒は一等酒

 音は未知不可解
@
●吉村浩二 作曲家
 人それぞれの「心の容量」につり合い、幸せにしてくれる音

 モコモコした音は疲れるから嫌い

 分離の良いリアルでクリアー過ぎる音は困る。
 定位よりも音の広がりの方が大切

 700ドルのオーディオ装置とボストン・シンフォニー・ホールの音の違いは・・・・・・

 「いい音」はその人の心の容量に関係がある
@
入江順一郎
 生の楽器に限りなく近く美しい響きで間接音表現の良い音

 f特と歪み特性の良さと音のよさをは必ずしも一致しない

 音の重大な影響を持つパーツの良否

 ジャンルを問わず音楽を楽しく聴かせてくれる音

 現用機器で理想の音を求めるとー

@
ListenView No.8より
●長岡鉄男
 ひとの好きな音ではなく自分の好きな音の確認が第一

 個人差の大きいオーディオとの相性

 画面サイズに左右されるLDの評価

 同じソフトも画面サイズで評価が逆転

 音質にも“評価の逆転”現象

 一筋縄ではいかない“いい音”の定義

 音づくりの条件ーテクニックと材料の鮮度

 「自分の好きな音」の確認が第一歩



@
●悠 雅彦
 想像力とオーディオの結びつきが洗練された艶のある“いい音”を生む

 内にある“音楽を聴く歓び”オーディオはその手段

 重要なのは個人の感性
 物理特性ではない

 豪華で豊饒な音より貧しいくらいの音がいい

 音が貧弱なほど自分の感性で補足できる

 SPレコードが私のオーディオの出発点

 補って聴くとオーディオは楽しい

 

 

●結城 亨
 作曲家、演奏者の心のメッセージを伝える「ナマ音」へのこだわり

 製作者が求めるのは「理想の録音」

 だましてでも演奏者の力を最大限に引きだす

 理想の再生音は「理想の録音」から

 ナマ音の忠実な録音にも10人10色の個性が光る

 再生装置がよくても悪い録音では意味がない
●潮 晴男
 自分で納得できる音、音楽の感動が伝わる音を愉しむ

 思いを託した再生音は生の音よりもリアル

 オーディオシステムでは音ではなく音楽を聴きたい

 最低限守り抜いたのはいい音を聴く環境づくり

●馬場 哲夫 〔CBS・ソニー・グループ録音部〕 
 「いい音」とは「いい曲」「いい演奏」「いい響き」の体験の集積に他ならない

 デジタル時代になって「いい音」のイメージは変わったか?

 「いい音」のための録音エンジニアの役割

 響きの良いホールの大切さ

 良い録音のための様々な条件

 いい音とは何か
@
ListenView No.9より
理想の再生音を求めて 低音再生を考える
早瀬文雄 ゲスト菅野沖彦
 音楽を楽しむための低音感とは?

 低音と低音感の違い

 物理量と感覚のバランスとは?

 低音再生における空間表現の意味

 アナログディスクからCDへ、そして何が変化したのか?

 ホビーとしてのオーディオにおける低音のバリエーション

 時代は変わり低音感の意味は変化しているだろうか?
 
杉山知之 〔建築音響家(メディア科学研究所研究員)〕
 リスニングルームでの音楽再生の楽しみー
 オーディオの中の低音とは

 やっかいなはずの低音

 大口径ウーファーからの脱皮

 「低音」のイメージ

 感覚としての「低音」

 音についての数字を知る

 音楽の帯域

 おわりに
●池田 圭  オーディオ研究家
 蓄音機で始まった私の超低音再生
 低音溺愛者の告白
 
 小音量で低音を満足させるトーン・コントロール

 オーディオ装置の発達と低音再生の関係

 低音再生=大型化の図式を塗り替えた超ウーファー

 CDの登場で解決すべき難問は超低域に絞られた

 
 
メーカーは「低音」をどう考えているか  スピーカーの設計者に聞く
BQSE
●井上克也  ボーズ株式会社情報センター科
 メーカーは「低音」をどう考えているか  スピーカーの設計者に聞く

 広い帯域でのバランス再生が求められている

 自然でバランスのとれた音を再生するための低音

 見逃させない使用環境上の制約

 小型でも重低音再生が可能な「アクースティマス理論」

 
DENON
●飛田敏行
 日本コロムビア株式会社AV機器事業部設計本部第一設計部
 個性を活かす設計が魅力的な低音を実現

 20Hzから20KHzの再生がCD時代の使命

 生活空間と音楽ソースの違いが差をつくる

 サイズで異なる低音再生対策

 
 
DIATONE
●矢島幹夫
  三菱電機株式会社郡山製作所スピーカー部技術グループグループ゚マネージャー
 総合的な技術開発で音楽再生に取り組む


 
感動の幅を広げ、再生音のスケールを支配

 最先端技術を背景に世界に誇れる性能

 デジタル計測技術による振動板と磁気回路の高性能化

@
KENWOOD
●早川純一
  株式会社ケンウッドホームオーディオ・第二製造部音響開発グループ
 奥の深い低音再生。そのスタート台に立つ

 一般家庭に求められる低音は100Hz

 周波数特性のバランスと感性の問題

 小型でいかに豊かな低音を再生するか

ONKYO
川端賢二  音響株式会社スピーカー技術部
 「いい音とは何か」と結びつく低音再生

 超低音と全体のバランスが問題

 “組織対個人”の製作プロセス

 50~150Hzを基本に全体の音づくり
PIONEER
●大矢場隆史
   パイオニア株式会社所沢工場第3技術部技術課課長
 多様化した音づくりの中でよりよい再生を模索

 周波数特性だけでは語れない低音再生
 
 設計に対する欧米人との概念の違い

 ハード面での調整後、設計者の感性を加味

 
REY AUDIO
●木下正三
  有限会社レイオーディオ代表取締役
 3次元的空間の表現力があってこその超低域

 本格的、聴感的に価値ある超低音は少ない

 厳選された条件下での低音体験が基本

 低域再生の現状を打破する7Hzモニターへの挑戦

SONY
●前田敬二郎
   ソニー株式会社オーディオ事業本部
 CD再生を前提に超低域再生を見直す時期

 より高レベルの表現に求められる重・超低音

 低音不足の“ジャパニーズサウンド”

 耐振構造と中域以上の位相合わせが不可欠
SANSUI
●山野孝嘉
  山水電気株式会社技術本部スピーカーグループ
 質に重点を置いた低音再生へのアプローチ

 豊かなサウンドを獲るための重要な要素

 設計環境の違いが音の差にあらわれる

 振動板、筐体材質など細部まで検討
TECHNICS
●雪吉 篤
  松下電器産業株式会社オーディオ事業部商品技術2部設計7課
 低音再生の科学的考察で浮上する6つの課題

 16Hzから100Hzが低音目標
 ①スタジオ、ホール等の収音時の音響環境
 ②収音用のモニタールームの音響特性
 ③収音モニタールームのハード機器(特にモニタースピーカー)の音響特性
 ④収音エンジニアの感性
 ⑤収音モニタールームでの音圧再生レベルと家庭での再生音圧レベル差
 ⑥収音場と再生音場の波面の差

 家屋の構造差が音質に影響

 徹底した防振対策で不要音の放射を低滅
@
VICTOR
●渡辺 勝
   日本ビクター株式会社オーディオ事業部
 人間の低域感度の低下は大きな問題だ

 音楽のスケール感を決定する要素

 低音の解析も進み甲乙つげがたい現状

 ユニット設計5割、筐体・置台の設計が5割

 
YAMAHA
●鈴木栄一
   ヤマハ株式会社AV事業部技術部設計5課
 1Hzでも低く再生帯域拡大にトライしたい

 生活空間に存在する音域は再生されるべきもの

 音楽の歴史的・民族的な違いが影響

 “太鼓方式”を脱却し、ヘルムホルツ共鳴器を再生


 
Her Mother's Voice
2003年9月以前のオーディオルームです。